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Julia Kerry

認知症の母とレスキューされた老犬との日々・・・仕事。 

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母の着物

母は昔からよく着物を着る人でした。



幼い頃、父兄会に着物を着てくる母がとても嬉しくて、ちょっと自慢でもありました。

だから父兄会がある度に

「お母さん、絶対に着物着てきてねッ   と。




私は母を入居施設から引き取った頃に

空き家となっていた母の家から持ってきたものは着物一式全部だけです。


その時は着物を全然着ない自分でしたが、

そのまま家と一緒に

母が愛したその着物も朽ち果てるのがホントに切なかったでしたから。


で、今度は我が家に持ってきた、押入れ一杯にある着物が手入れもされず、

そのまま放置状態もこれまた切ないものがありまして・・・・

母にとって 大切な大切なものですから。



結局、私は自分ひとりでは着付けられないので 着付け教室へ。




着物は洋服に慣れている私にとって、 全く別の感覚のものでした。



肌襦袢、長襦袢、着物を腰紐、伊達締め、帯で順々に 創り上げていく感覚 です。

ひとつひとつをキュッと結んで締め上げていく。

その過程で形が徐々に創り上げられ、

形が完成していくわけですが、

それと同時に気持ちもどんどん引き締められていきます。


洋服を着るのとは全く違います、その感覚。




着物を自分ひとりで着付けながら、

私は毎回思ってしまいます。


あぁ~、お母さんもこんな感覚で着物を着ていったのか と。

しかも 同じ着物 をです。



         母の匂いがします、 そんな気がします。





           着物
                                    ↑
                                  多分、旅行先


         


着物を着た私を見ると

「あら~せんせ様ァ~、素敵な着物ねぇ~」 と、着物好きですから、目を輝かせて 

エ~とぉ~、あなたが自分で選んで作った、あなたの着物だけどォ・・・・




         今の私だったら、あなたの大好きな着物の話も出来るけど・・・

         今はあなたが出来ないし・・・・


         あなたが認知症になってしまったから、

         出会った着物になってしまいました。



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*** COMMENT ***

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Helgaさんへ

親子と言うものは結構ボタンの掛け違いがあるのかも。

母が認知症で無かった頃、母が私に望む事をしてやれなかったし、
母も又しかり の部分がありました。
今認知症になった母との昔を思い浮かべての実感です。
でもその時はお互いにそれでも生きてゆけました。

私の負い目は入居施設に入っていた母を救い出す事が遅かった事です。
早かったら進行をもっと遅く出来ましたし・・・
私は母が入居施設に入った当時はほとんど関わりがありませんでした。

母が苦しんだ様子を後から第三者から聞いて知りました。
入居の保証人である私の姉の支援もなく、(勿論私も知らず・・)
たったひとりでわからなくなっていく自分に苦しみ、孤独と絶望に苛まれていたことを。

私は 切ない です。
この切なさが私の介護の原動力です。

母と今過ごせる事に 感謝。 そしてふたりでもっと幸せになろう と。

何もわからんちんの母ですが、こんなに素敵な人だったんだな と思うことも。
母ばかりでなく、どの人の親も実は素敵な人なんですよね、実は。
時にはボタンの掛け違いで、それが見えなかったことも。


> 夜中に目を覚ました父が一人じゃかわいそうだったので。 <

お父様、十分幸せでしたね。
最後の最後も家族が側にいてくれて、自分の人生、家族と一緒だったと実感したと思います。


> 現在お母様の中で、Julia Kerryさんは『せんせ~』であって『娘』じゃないかもしれません。 <

これが一番 切ない ですが、慣れましたァ~~
だって そういう病気ですから。
母にとってこの病をしっかり理解してもらう事がとても重要です。
だから私も慣れる、母のために。

みやさんへ

しつけのついた着物がいっぱいあるなら、
そしてお母様が着ていた着物があるなら、
着て見せてあげて下さい。

みやさんと妹さんのことがわかるから、
自分のいろいろな想いが籠もった着物の、その姿のみやさんと妹さんをみて
そりゃ~もう喜ばれる事、確実です!!!

着物を通して、心の共感共有つうか・・・

心の共感共有がお母様を元気づけますッ!

今母の着物を母娘2代で何十年と着てるわけですが、
着物の素晴しさ、着物文化の歴史とかを知って、
これも母から受け継いだものとして私は私なりに誇りに思っちゃうのです。

母は私がそんな風に思っていることがもはやわかりません。
でも私は 「はい、確実に受け継ぎましたよ」 と。

じへりん母さんへ

私と母は比較的疎遠状態でした。
たまに会うだけでした、あなたはあなた、私は私と。

> 皮肉なことに、その数ケ月の毎日の数時間が、父と私、ふたりだけの濃密な思い出になりました。
誰も知らない、二人だけで過ごした時間。
それが唯一の宝物のような感じです <

親というのは凄いものです。
最後にちゃんと宝物を残していきます。

お前を愛してきたし、愛しているよ と。
そして ありがとう と。

> もうあれから10年もたつのに、いい歳をして、いまだにファザコンから抜け切れてません(^^;  <

いいですよ、永遠にファザコンでも、マザコンでも。
あなたを忘れない という永遠の思いですから。

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思い出…

親孝行はいつでも『間に合う』はずなのに、自分では『間に合っていない』と思ってしまいがちですよね。きっとそれは永遠の課題かもしれません。

生きているうちでもどの瞬間が親孝行に良いのか、後にならないとわかりません。
それを決めるのは親であって、私達子供の立場だと何をやっても『遅かったかもしれない』『間に合わなかった』と感じてしまうのかも。

じへりん母さんのコメントを読んで、あー、私も同じと思いました。

私はずっと東京にいて、お盆も年末もあまり帰らない親不孝者でした。父が癌で入院した時、仕事をしていたけど月に1回帰って、最期の5日間は病院に泊まり込みをしたのは私。姉が朝来て交替、その後は母、でした。もう意識もまばらな時でしたけど、夜中に目を覚ました父が一人じゃかわいそうだったので。

父と私の中で唯一のわだかまりがあり、私は忘れたふりをしていたけど、それが原因で父が嫌いでした。でももう許すから、と言った時、父の目から涙がこぼれたので、耳は最後まで聞こえているのは本当だと実感しました。勇気を出して言って良かったです。

もっともっと父と仲良くなりたかったけど、最後の最後に後悔しないように伝えた事は私が父に出来た最後の親孝行だと思っています。父の命日は8月15日、お盆くらい帰って来いという意味かもしれません。でも現在デン生活、結局命日に帰れません。(T_T)

現在お母様の中で、Julia Kerryさんは『せんせ~』であって『娘』じゃないかもしれません。でも娘として認知出来た時は絶対に良い娘だと思っていた事でしょう。子供は存在するだけで親孝行してますから。せんせ~としてでも一緒にいて落ち着ける存在なのですから、違う形での関係を築けている事はポジティブに受け止めて良いと思いますよ。

NO TITLE

着物はそういうものなんですね。
家の母は、着物はそんなに着なかったのですがたくさんあります。
祖母が和裁をやっていて作ってくれた着物。その後母も着物を作りようになりました。
どれが母の作った着物かはもうわかりませんが、しつけがついたままの着物がたくさんあります。
たくさんの着物、着れるようになるといいなあ…。

気づいたときは遅いのよね・・。

こんばんは。

父の最期を思い出してちょっと切なくなりました。

生きているうちに、元気なうちに、もっともっと話をしたり、遊びに行ったり、親孝行したり、たくさんたくさんしてあげればよかった・・。
結局、私が父にしてあげられたのは、末期がんの患者として最後の入院をしたときに、まだ1歳になったばかりの息子を連れて実家に泊り込み、毎朝6時に朝食の世話をしに、病院へ通ってあげたことだけ。
皮肉なことに、その数ケ月の毎日の数時間が、父と私、ふたりだけの濃密な思い出になりました。
誰も知らない、二人だけで過ごした時間。
それが唯一の宝物のような感じです。

・・思い出したらまた泣けちゃった(>_<)

もうあれから10年もたつのに、いい歳をして、いまだにファザコンから抜け切れてません(^^;

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