Julia Kerry

認知症の母とレスキューされた老犬との日々・・・仕事。 

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介護する者

介護生活をしていて、

介護とは

介護者にとって 「やってくる死を見つめる作業」 でもあるのだな と。


もちろん、

早くお迎えが来て欲しいと願う介護ではなく、

少しでもすこやかに長生きしてほしいと願う介護の中で。




地球上のいきもの全てが100%の致死率な中、

母のような高齢になると

そのタイムリミットが若い時とは違って鮮明だから。



母が「フェアー」を10年以上利用している中で

やはり亡くなられた方は多い。


次に「フェアー」に顔を出したらいらっしゃらなかった・・・・

私も何人かの利用者さんを知っています。


それを聞いて

「次は母なのだろうか」 と思ってしまう。


スタッフにとっては

昨日まで一緒に過ごした利用者が

そういった事情でいなくなるというのは

回避できないこととわかっていても

死を突き付けられるのはツライものだろうと思いましたね。 


介護・看護職に従事している人は

それに対面する機会が圧倒的に多いでしょうから。



そしてそれは、

自分の家族も含めて他者の死が、

無意識の中で、

本能としていつか訪れる自分の死を感じ取るという作業でもありますから。




今朝ちょっと そうだね と思う記事を見つけました。

(抜粋)

。。。。  

でも、人はかならず死ぬということについては、
 ひとつの例外もない。

 こんなことを書いているぼくも死ぬし、
 と読んでいるあなたもやがてはかならず死ぬ。
 そういう意味では、みんなみんなおなじだ。
。。。。。。

 ではどこにいるのかと考えたくもなるのだけれど、
 どこにいようがいるまいが、かまわない。

 その人が生きたせいで、ここにあるもの。
 そいつが、生き続けているのだ。

 こどもがいたら、こどもはまさしくそういう存在だ。
 その人が買ったもの、つくったもの、書いたもの、
 その人が語ったことば、怒ったもの、悲しんだもの、
 その人が抱きしめたもの、その人が育んだもの、
 その人が別れたもの、その人が歩いた道、
 その人が吸った空気、その人が祈ったこと、
 すべて、そのまま、その人が死んだからといって
 いっぺんに消えたわけではない。
 そして、ものも、ことばも、場所も、思いも、
 その人が死んだあとも、続きを生きている。

 それを「あの人は生きている」と、言っていいと思う。
 お墓にいようがいるまいが、どこでも続きをやっている。 
 ぼくが死んでも、そうなると思うと、なんだかうれしい。

生きているうちは、じぶんがじぶんの続きをやっている。





今日は

いつも土曜日生徒が今日になり、

”召し上がれ”
17,06,25

ベーコン・玉ねぎ・卵のピラフ。 ほうれん草・コーンのバタ炒め。

モズク・長ネギの醤油麹スープ。   母用モズク、絶賛借り出し利用中 


今日は朝からの来客もあり、

スケジュールが混みだしてバタバタと。

なので ”召し上がれ” は手抜きであった。。。。


生徒はちょっとお疲れ気味な感じだったので

「飲む点滴ですよ~  と言われて、

食後に我が家の自家製の甘酒を飲まされた。


しかも甘酒の効能の能書きを私に聞かされながら  



母は授業中、ベッドの中で待機。

後半あたりに 

「ウガウガじゅっちゃん~☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆ 」
 と声が出てきて

お元気ちゃんでありました 



私も母の長くないいのちを見つめながら生きています。

決してもう長くはない、この介護生活を

丁寧に生きていきたいと思いますね。


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      今日の授業中はオチッコしに行きました。
      ボクがシート上でクルクル回りながら狙いを定めていると
      授業中断して生徒とうちのJulia は沈黙の凝視で。。。。
      そのうち 「瑛太~外さないでね~」 とうちのJulia の大声が~
      見事に外しました

               













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