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Julia Kerry

認知症の母とレスキューされた老犬との日々・・・仕事。 

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Face to face

           わからなくなって

                   わからないからといって・・・





私達はコミュニケーションをとるのに言語を使います。

話す、聞く。


しかもそれだけでなく、

非言語的コミュニケーションによって情報も得ます。

相手の表情、口調、身振り手振り、服装までもが脳の中に情報として蓄積されます。




うちの母の場合ですが、

経験として蓄積されたもの、言語で表現できる物の名前・・・

すべてが記憶の中からバッサリと削ぎ落とされています。

ですから言語を使った論理的なコミュニケーションは

私と母の場合、一般論的には成立してません。



   今やバナナもトマトも名前がわかりませんです。        
 
        かろうじて食べられるであろうという認識だけ。


   自分が今どこにいるのかわかりません。        

        かろうじてここは安全、ここより他に行くところがわからないという認識だけ。

        
   私が娘であることもわかりませんゥ・・。
        

        かろうじて私をあてにしてればいいのだという認識だけ。


   一秒前の過去はありません。 

        今を生きてる のそのまんま。
               
                ・
                ・ 
                ・

そんな中で非言語的コミュ二ケーションから受けた感情はしっかり残っております。




優しい口調のひとか、大きい声を出さない人か、

自分のやらかした失敗にウフフと笑っていてくれてる人か、

出来ない事を手助けしてくれる人か、

今居るところを指し示してくれる人か、

「そうなのね」 と言ってくれる人か、 「すごいわね」 と褒めてくれる人か、

いつもニコニコしている人か、 いつも話しかけてくれる人か、

手を繋いでいてくれる人か、 HUG HUG でぬくもりをくれる人か、・・・・人か、

そして

いつも自分の目をみて話してくれる人か FACE TO FACE で、          




      自分にとって 心地よい人 だけが いいひと。

            心地よさ をくれる人だけがたより。





何かを論理的に繋ぎ合わせて組み立てて考える事は出来なくなるのがこの病ですが、

そのぶんだけ私達認知症ではない人間よりも

ずっとずっと繊細で感受性が強くなるのもこの病です。



      心地よさ から引き出された要介護者の穏やかさは

            介護の達成感と介護者の幸せをもたらしてくれます。

                   それで 介護です。


      両者が あるいはどちらかが不幸なら、介護は成立しない危険性を孕みます。



      と、私は思っています。




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