拒否されちゃいました~
先日、出勤ではなく、自宅での英語教室の仕事の日。
その朝、いつもどうり5時起床。
一日の開始にあたっての私はまず自分のための段取りをやり・・・1時間半ほど。
母を起こしておめざのヨーグルトを食させ、
学習療法をこなし、
朝食をもぐもぐ・・・・
・
・
・
・
排泄の段取りもなんとか済ませ・・・・
というのは
「出かけようか」 と私は出勤、
母は「フェアー」へと手と手を携えて出発しようとすると
必ず 「トイレ行きたい」 コールが始まります。
だから全ての出発準備を終え、後は靴を履くだけのときから始まるコールなので
準備を終えて30分の余裕の時間が必要です、いつも。
その日は9時から英語教室の生徒が来る予定で
母はいつもの時間どうり8時からの「フェアー」での通所利用。
「出かけようか」 と私。
いつもなら 「そうね」 と母。
勿論、母は どこへ何のために出かけるか 理解できていません。
「でも出かけるのだ、行かなきゃならないのだ、この人(私)と」
とわかっています。
その日の母。
「今日は出かけません。ここにいます」
「ェッ?! あ~そうかぁ・・・・」
母はわかっています。
今日、私は出勤ではなく、仕事で自宅にず~といる事を。
朝からいつもどうりのペースで過ごしても
私の緊張感が違います。
遅刻はしないためのバスの時間がないから・・・・・
仕事に対するいつもの緊張感が時間に追われてないから・・・・
で気持ちの転換を図るためにゲームをやりの一時間。
英語教室の開始は三十分遅れの変更をし、母は1時間遅れで「フェアー」に。
感じ取ってよくわかってるぅ・・・

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まず、誰かのために健康に
昼夜逆転の生活から一変して
人間という生物の遺伝子に組み込まれた生体リズムを
元に戻す、自然に沿うという生活が始まって
私のお腹を輪切りにしたら
金太郎飴の如く、
輪状に脂肪の塊が描かれていたのだろうけど・・・・・
結論はそれが削ぎ落とされ、
痩せましたぁ~つう事で極めて健康になったはずで・・・・・!
昔から健康志向でしたが、
かといって何か特別に集中して取り組む事はなかったけれど、
自分の健康を 特に! 意識するよううになったのは
介護の必要な母と同居してから。
母には私しかいないから
私は病気になるわけにいきません (ま、なる時はなるんでしょうが・・・)
母より先に逝くわけにいきません (ま、逝く時は逝っちゃうんでしょうが・・・)
でもせめて自分の意識をちょっと変える事で 健康管理と予防 できるなら・・・
その努力はせざる得ない・・・!
食事も塩分調整とか野菜中心とか・・・
ちょっと運動というか、体操もします。
続くように! とハードじゃなく負担にならない程度に。
・
・
・
・
きわめて健全健康な生活を。
それを強く意識したのは 誰かのため。
その誰かのためが 私自身のため にもなっています。
そういう意味では母に感謝。
わたしって、こんな事もできるんだぁ~~と。
しかもですね、最初は努力でも そのうち 当たり前の慣れ、当たり前の日常になっています。

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痩せました
私、痩せました。
この2ヶ月で 6キロ強。
身長155センチ。
以前の体重51キロ、 今(たった今現在) 44.3キロ。
ここひと月44~から45キロの間。
ウエスト59センチにカムバック。
二十数年前のウエスト。
私の場合 の理由は、たったひとつ。
食事の時間。
2ヶ月前まで、夜の飲食店をやっていた時、
夕方5時30分頃に母と夕食。
その後はお店で仕事で、帰宅が2時ィ~とか3時ィ~とか・・・
ぶっちぎりの 空きっ腹!!!
ここで軽くしか食べちゃいけないぞ すぐ寝るんだから とわかっていて
頑張って軽~くバナナとミルクとか・・・・で 済ます・・・・
が理想なのだけれど
・
・
・
無理なわけッ。
(もし、そのまま食さないで寝たら、母を迎えに行っての、その後の昼食まで
何も身体に入らないわけです)
しかも炭水化物大好き。
白いご飯に明太子とか・・・・で あぁ~しあわせ!の私。
さらに麺類も・・・・す、好きで・・・だ、大好きで・・・・
例え酔っ払っていて、 ヘレ~ としながらでも
ラーメンもスパゲティーでも夏ならそうめんでも本格的に作ってしまう、喰ってしまう・・・・!
そしてそのまますぐ眠ってしまう・・・・ というのが圧倒的な日々・・・・・・・・・・・・・・・・!!
だって、ず~っと食べ物入れてないから、
脳みその唯一の栄養源のブドウ糖だって切れかかっているしィ・・・
身体だって、お腹空いて眠れないぞォと云ってるわい・・・
と自己弁護、弁解しながら。
・
・
・
・
今は しっかり太陽と共に起きて、
朝食がッツリ、7時。
昼食は勿論、シッカリ、12時半。
夕食はリラックスして、18時。
その後の間食ほとんどなし。
そして、食事内容は母と同居以来、
野菜、魚貝類、きのこそして海藻類中心。
ドレッシングも含めてほとんど手作り。
コンビニや出来合い既製品はケミカルな添加物が多く、塩分も濃い目。
濃い味に慣れると食事自体がもっともっとと量が増えます。
それもあってパス。
母を抱えて、
健康のために特にその傾向が強まったというか
完結しちゃったというか・・・の食生活と
昼夜逆転の生活リズムの改善。
それがみごとに私の身体の脂を削ぎ落としました。
あぁ~夜間や寝る前の食事が どれだけ いけないか
の一例
ただ困るのはですねぇ~
久しぶりに会う人たちが
「あら~ジュリアさん、痩せたわねぇ~」 と
微妙な、気の毒そうな目線を送りながら言うわけです。
・・・介護、大変なのね、きっと。 あっという間に痩せちゃって・・・
てな感じ。
いやいや、そうじゃなくて、
大昔の普通体型に戻っただけですけどぉ~
正しい食生活と決まった食事時間で
以前も身長からしてすごく太ってたというわけではありませんが、
年齢的にもウエストは みごとにありませんッ でした。
但し、これ以上は痩せたくありませ~ん。
顔が皺くちゃになります、この年で痩せると。

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優先順位にこなして~
起床はいつもどうりだったですが、
仕事での私のお出かけがないので
気分的に 超


朝食は クックパッド から引っ張ってきて
~野菜たっぷりのミネストローネ~ の余裕ぶり。
但し、普段ならここで母と一日ず~と過ごすのだけれど
やる事スケジュールいっぱいで、母には申し訳ないけど、
「フェアー」へ デイで出かけてもらいました。
母を送った後。
まず、久しぶりのお天気

↓
歯医者へ
咬合の矯正を兼ねての治療中。
↓
帰宅してヘアーカラーリング (ま、いわゆる白髪染めですけどぉ~)
↓
午後13時30分から 「フェアー」 での嚥下・口腔ケアの講習会に参加。
この形の講習会は以前他所で受けたことがあるので
あえていく必要性はなかったのだけれど、
朝から行っている母の様子を密か(?!)に見たかったのでした。
だから「フェアー」に入っても私は母の側には付きませんでした。
母は私がいたことは知りません、わかりません。
母は講師の歯科衛生士さんがおっしゃってることが全く理解できずにおりました。
「お口を~こうして~動かしてみてぇ~・・・
お顔のここを触ってみてぇ~・・・
手をこうしてみてぇ~・・・、・・・・・。」
母は何も出来ていませんでした。
側にスタッフの方が寄り添って
「こうですよ」と声かけしてもその一瞬だけ手が動きますが、
理解できないので結局何も指示どうりに動かす事が出来ませんでした。
私は母の様子を見つめながら他の利用者さんと比べて、
あらためて母の病気の進行具合を確認したのでした。
わからないという不安と 飽きたことで
「そろそろトイレ行きたいコール始まるかな」 と思った途端、
案の定 「オシッコしたい」 と、スタッフに誘導されてトイレへ。
但し、講演中その一回だけ。
う~ん、何にもわかんない、理解できない中で
皆と一緒に参加してよく頑張りましたッ、お母さん!
母はそのままお泊りで私はそのままひとりで帰宅。
↓
帰宅して乾いた洗濯物の始末
↓
マーシャさんのシャンプー、
↓
冬物持ってクリーニング屋さんへ、
↓
ベランダ掃除しぃ、
・・・・・・・・・・・・・・
と街中の本屋への予定が微妙にバッテリーが切れ始めようとしている感覚で
行くのは中止して電話で注文。
・・・・・・・・・・・・・・
ボケ~ッとして座った途端、バッテリーが切れちゃって (見事に!)、
友人との 夜ご飯食べよう のお出かけはキャンセルして・・・・
21時30分過ぎにはお布団へ・・・・



今日一日、時間に沿った優先順位ごとに、とりあえず、こなすものはこなしたし、
ま、いっかぁ~と。
母もお泊りで夜間のトイレ介助がないから
いやぁ~~もぅ~夢も見ずして眠りました



今朝はァ~、5時前には起床して すっごく 快調!!!!

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敷布団
自ら、ガバッ と起き上がって、 「トイレ行きたいの」と。
で、私に誘導されてトイレへ。
最後のトイレから4時間以上経って起きてこれなければ
声かけでトイレ誘導と介助。
丁度ひと月前以上に私が爆睡してしてしまって
4時間以上経った母を起こす事が出来ず (スミマセン・・お母さん・・)
母は久しぶりの夜間の失禁。
以前、母を引き取って生活を始めた頃、
母はオムツのリハパン常用というか、それしかありませんでした。
・
・
・
今は 普通のパンツ

当時は 夜間突然起き上がって、
そのままベッドの上でリハパンを下ろしてオシッコしよう状態。
あるいはオシッコの中で眠っている状態。
すなわちトイレという概念が欠如してました、夜間は。
あぁ~、
当時、一体いくつの敷布団を
廃棄、買い替えしただろうか・・・・
問題は捨てる時。
大ゴミとして市役所に連絡してたけど・・・・
・
・
・
後半は100円ショップでハサミを購入して敷布団を20センチ四方くらいに切断。
それを6塊りに分けてゴミ袋に。
それに生ゴミを足して、混ぜ混ぜ廃棄、ゴミ回収日に合わせて6回に分けて。
それが捨て切っていない内に又、敷布団がぁ・・・・
しかも敷布団の切断は容易ではありません。
ハサミもすぐ使えなくなりますし(100円ショップ購入であろうと一般購入であろうと)
もうほんとにすぐに切れなくなります。!
もう ウン、ウン、唸りながら

今私が新しい敷布団を購入する時、
布団を触りながら
「う~ん、これが一番切りやすそう・・・」
それが購入目安!
そして安価である事も!

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ガクッ から とりあえずホッ へ
昔、私を含めた家族の支援も応援もなく、
老人ホームに暮らしていた時のような、
その後、私がそこから引き取った当時のような・・・・
ここ最近、そんな様子を突然見せ始めた母。
ものすごいトイレコール、
曇りがちの顔、
否定的拒否的言動・・・・・
で、 ガクッ の私が・・・・・
おうちにふたりでいるとき。
ベッドの中でゴロゴロ・・・・
握り合った手を キュッ、キュッ と 私。
キュッキュッ と握り返す母。
今度は母が キュッキュッのキュッ。
私が キュッキュッのキュッ。
替わりばんこに。
どっちかの胸の上にある握り合った手で
クルクルクルクルトントントン。
それを替わりばんこにやりかえす、
クルクルクルクルトントントン と。
無言の中での妙に意識が集中しての安心感のぬくもり。
ふたりだけの心の信号の確認。
・
・
・
頭 ナデナデ。
「お母さん、今度は私にも、頭なでなでしてよぉ~」 と。
・
・
・
額と額で コッツンこ コッツンこ 。
・
・
・
安心でごきげんの母。
「せんせ様ぁ~、お風呂一緒に入ろうよぉ~」
普段、母の入浴の時は私はあくまでも介助なので
入浴はしません。
でも今回は身体を洗う目的は除外して
ふたりでそのまま、お風呂に ザブ~ン。
浴槽が狭くてとても ゆったり というわけにはいかないのですが、
狭い中で身体をくっつけあって・・・・・いと、楽し

・
・
・
ここ3日ほど、
落ち着きはじめています。
ガクッ から ちょっとホッ へ

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歳をかさねて
専門性
に対して私達は期待する。
それが専門性だから。
ま、いいかぁ~・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私自身は私の母だけが特殊だとは全然思わないのです。
老いた人、病気の人、弱ってる人。
ま、
たまたま私の母はアルツハイマー病であります。
たまたま、しかも当然、齢を重ね・・・の途中であります。
そして今の私達にとって 信じられない歴史と人生を生き抜いてきた人達。
戦前、戦中、戦後。
何故なら、もし私がその時代性の中だったら
私は命を存える事が出来たであろうか、と
自分自身の選択肢がない中で・・・・
母と、そして私が大好きなお年寄り達と出会って、
その顔を見つめていつも思います。
何もなかった時代の人。
病気になっても薬も医者も、今みたく、医学的な解明も何もない時代。
貧しくて食べ物もなく、弱っていく自然淘汰が当たり前。
教育が当たり前・・・じゃないし・・・
という子供の頃。
そして自分の意思とか感性とは違った時代を通らねばいく時もあり、
淘汰されていく中で、しかも淘汰されるものかと、無意識に、その中を生き抜いてきた人達。
生き残ってきた人達。
そして戦後の商品主義、物質主義的、
ま、ある意味、戦後近代日本を作りあげてきたのは彼らでもありますが。
・
・
・
戦中、戦後を生き残ってきて
今の日本の現代社会、
例えば欧米を含めた諸外国とは比べ」物もならないくらいの、
安全 と 安定(とりあえず未だ

命を懸けて作り上げてきた世代でもあります。
働き続け、生き残り・・・・
その恩恵を受けてるのは私達でしょ

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一変。
ガクッ
もしかしてまだ出来るはず、出来るかもしれないと
やっぱりできるゎ~! 出来るじゃない~!
もあり、かといって
何かを表現するうえで
その言葉自体を失いつつある母。
ここ数日、母の様子がおかしい。
もの凄いトイレコール。
昨日は自宅での英語教室の予定でしたが、
母にもっと張り付くためにキャンセル。
2年前に入居施設から引き取った時と同じ状態。
何かの度にトイレコール。
昨日まる一日で60回は超えました。
トイレから戻って椅子に座った途端、
バネの如く立ち上がって 「トイレ行きたいッ」 状態。
ニコニコの穏やかな顔が曇りがち・・・
怒りっぽい・・・言動が否定的・・・
例えば数字版に数字を置くゲームでも
いつもどうり私が声をかけると
「私、自分で置いてやってんだからッ。」 怒り顔。
う~ん、
母を見つめる私・・・考える私、唸る私・・・・
今まで ず~っと なかった事・・・・
私的には ガクッ です。
変わったことといえば
私の仕事が変わり、
以前、仕事中、夜間の施設でのお泊りでのお預かり。
今は、仕事中、日中のお預かり。
・
・
・
以前は私が日中、マンツーマン、フェイスツーフェイスの張り付き状態。
今は大勢の中のひとり。
そりゃ以前とは状況が違います。
大勢だから時には他の利用者さんとおしゃべりしたり、レクを楽しんだり・・・
も出来るけど、
如何せん、2年間の日中の私の張り付き状態が身に付いています。
その状況の変化が母に不安を引き起こしてる・・・・・?!
・
・
・
この傾向にどう対策をとるか・・・・
思案中・・・・・・!
私にとって 問題というのは解決するためにあり だから。

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桜の季節
多くの人達がそれを観にお出かけの時でした。
私も友人それぞれ二組からの
母も含めたご招待がありました。
友人は私がいつも母連れ(?)であることを知っているので
「お母さんのためにも」という有難い心使いでもあります。
ウ~ン と唸って、 そして断念。
河川敷を含めた各々の場所には備え付けや仮設のトイレがあります。
もし仮に母があきちゃってトイレコールが始まったとしら
ま、トイレもあるしと思ったのですが・・・・・でも 和式だぁ~

母はもう和式のトイレが無理なのです。
和式のトイレに入ると洋式的に反対を向いて座ろうとします。
「アゥ~アヮヮワァ

と教えると、
なんとか水道管に掴まりながら・・・・
でも出ない、出ても少量。
それが微妙な不安に繋がって、トイレ行きたいコールを更に引き起こします。
洋式のトイレは認知できます。
和式はトイレと思っていないところがあります。
つうより、全然ないかぁ~
う~ん、
産まれて幼い頃から戦後もず~と、え~と40歳ゆうに超える頃まで
和式だったのに・・・・・ねぇ~
その記憶がすっかり欠落しています。
それで友人からのご招待は断念。
去年もふたりですぐ近所に咲いている桜を散歩しながら愛でました。
今年もその予定。
今年も咲いた桜。
それを今年も母と一緒に愛でる事ができる幸せです。
「生」 の実感・・・・・!

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外食
母は自宅の食卓でご飯、汁物そしておかず・・・と並べてある中で、
まずお箸を持ちますが、
私が食べ始めたものを確認しながら、
それを追いながらひとつずつ食していきます。
ご飯がおかずそのものになっちゃってる事も・・・・
「せんせ様、これね、今これ食べたのね。
これ食べていいのね」
てな調子です、最初から最後まで毎回。
どれをどこからどうして食べていくか・・・もう、難しくなってきているから。
友人のくうちゃんと行く焼き鳥屋 「ごきげん鳥」 での事。
私が焼き鳥を串からはずしてお皿にのっけてお箸で食べようとした時、
「あらぁ~、そうゆう食べ方じゃないのよ。
こうして食べないとォ~」
母は串を手にして、上からパクリ。
「エッ、ァラ~ はい~ィ・・・・!」 と ビックリ、うれしィィ

焼き鳥は認知できます、今のところ。
その食し方も!
だから自分からどんどん食べていきます。
私が友人のくうちゃんとおしゃべりしていると、
「あら、せんせ様、これ食べないの?!
じゃぁ~私が食べちゃうわよ」 と自ら串を持って。
しかも美味しいことをよくわかって食しています。

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あたりまえのたいへんさ
巣である居住場所や、
部屋の内装なんかをすっかり換えちゃうと
いわゆる環境の変化に順応できなくなっているため、
病状の進行と悪化を早めるだけになり、
そういった環境の変化は絶対避けるべきと私は考える中、
かといって、いつもいつも「フェアー」と我が家の往復だけが定番だけじゃ
脳が マンネリ化する ので
それを避けるためにも
コーヒーショップや、バスに乗っての街中や、友人宅へとか・・・への外出。
別の意味での 環境の変化で、 脳への刺激を!
外食もそのひとつ
単独ふたりきりの時と、友人のくうちゃんと、あるいは別にも1人の友人と。
この3つが定番パターン。
くうちゃんとはいつも母がお気に入りの焼き鳥「ごきげん鳥」へ。
・
・
・
お互いの近況報告の中で
「今は夜間のトイレ介助で2~3回起きなきゃならないのよ」 と私。
「あらぁ~、そうなの!!
赤ちゃんもそうよ。
3時間おきくらいにおっぱいあげなきゃなのよ、夜も。
赤ちゃんと同じね」 とくうちゃん。
くうちゃんは、今はそれぞれ結婚や独立した3人の子供を育て上げた人。
なので、世話が必要という大変さを あたりまえのたいへんさ と思っています。
だから、私が母の介護や介助をしていても あたりまえのたいへんさ と思ってくれてます。
勿論、赤ん坊は大きくなって いずれ 手が離れます。
お年よりは、その いずれ が別の意味でもあります。
でも単純に 子供とお年よりは 手がかかるのよね という
あたりまえのたいへんさを
くうちゃんと私が一致しておしゃべりしているのです、いつも。
「私も、年をとってもお母さん(母のこと)みたく
可愛いお年寄りでいたいわぁ~~」
認知症の母のことを よくそういってくれます。
たとえ認知症でも、認知症の母のことをそう見てくれてると、私はうれしい・・・!
母自身、くうちゃんとの食事の時はホントご機嫌、リラックス。
たまの他の人との食事等の時は
母は不安を若干内に秘めながら
「この人誰?!」 と横に座っている私に小声で聞いてくるのです・・・・

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たいへんねぇ~と言われても・・・
「ジュリアさん、お母さんの介護 たいへんねぇ~。」
「お母さん抱えて たいへんねぇ~。」
「ジュリアさん、えらいわねぇ~」
・
・
・
・
ウム~ん、そう言われりゃ、そりゃ、たいへん・・・・?!
トイレの場所が、自分のベッドが、座るべき椅子が全然認知できないし、
だからトイレのたびに夜間も含めて誘導、絶対見守りだし、
(母は見ていないと摘便をする。唯一私が母の行為で不快に思う事。
しかも拭き終わったトイレットペーパーを流さず、袖口にしまうぅぅ・・)
毎回ベッドへ、椅子へ誘導だし・・・・・
食すものが何か、物の名前がわからなくなってきているから
わからなくてもいつも説明するし、
何をしたいとか 何が好きとか こうしたいということも特にないから
母が気に入りそうなもの、集中できるものを見つけ出さなきゃいけないし・・・・
過去の自分の生育歴の記憶も、今どこに住んでどこにいるのかも、
五秒前のことも全然ダメだし・・・・・
で、残っている微かな記憶を維持したり、
引き出して有効活用しなきゃならないし・・・
不安と孤独の世界に行かせない為に 笑顔を引き出すため
寄り添い、張り付き状態だし・・・・
いかに母にとって居心地いいか、
快適かを考えるエネルギー使いぱなしだし・・・・
・
・
・
・
エトセトラ! だし・・・
つうことで母が認知症でなければ、
本人が自分で出来た事に手助けを、
又、代わりにやらなきゃならないわけです。
考えなければいけないのです。
でも 苦 じゃないわけです。全然。
そ、たいへんだけど、苦じゃない。
老いても認知症になっても 母らしさを維持する。 その人らしさを維持する。
これが介護 だと思っているので、
いつもいつも回りから決まりきったようにいわれると
返答のしょうがなく、時には閉口します。
「そうなのぉ~大変なのぉ~辛いのぉ~苦しいのぉ~メェ~メェ~


という 私の返答を期待(?!)してるのかね、皆?
と、心の中で嫌味でつぶやいたりして・・私
つうことで残念ながら
その答えは私の場合は当てはまらないのです。
一般通念、一般論がそうであっても
私にはあてはまらない。
私は私。
でもひとつ、
究極母は私が自分の二番目娘のジュリアだとわかりません。
自分の産んだ子と認知できません。
これは 私的には ちと悲しいけどぉ・・・かなり悲しいかぁ・・・
・・・エ~と 寂しい・・・けど

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