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Julia Kerry

認知症の母とレスキューされた老犬との日々・・・仕事。 

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施設から私のお家での在宅介護へ


    目から鱗・・・・・・・・ォ!!


母を引き取って17ヶ月。

今は日常の中で17ヶ月前とは比べ物のならない位の周辺状況の改善が
見られます。
今現在の母しか知らない人たちは、穏やかに挨拶を交わし、
笑顔を返す母を見て、
多分、以前老人ホームに入居していた頃の母の様子を知る事があったら、
まず驚くに違いありません。


母は、その施設に入居する前に同じ施設法人の別の施設の居りました。
そのときの母の入居に関するキーパーソン(保証人)は姉であり、
よって私は母と関わる事はあまりなく、
姉に内緒でたまに母を訪問するだけで
きちんと母の置かれている状況を把握する事はありませんでした。

姉と私は父が亡くなったときに、妹(うちは3人姉妹)から
「母の面倒を一生みるから、父の残した財産、財産権を総て放棄してくれ」との
強い申し出に同意したいきさつがあり、
母と妹はそりゃもう妹が幼い時から‘金魚と金魚の糞‘のような関係で
ありましたし、
母自身、姉と私に対して同様に放棄を強く望んだこともあり、
姉は自分の家庭があり、私は自分自身の仕事に夢中という事で
それに同意したことを契機に

私たちの家族関係は完全に崩壊しました。

その後、母と妹夫婦の関係が破綻して妹夫婦は出て行き、
母は一人暮らしとなった中で孤独と不安からでしょうか、
一人暮らしが困難という事で民生委員と保健師の斡旋で
介護施設入居となったようです。
私はそれを後から知ったわけですが、
すでに姉が保証人になっている事もあり、
家族関係が崩壊している中で深入りする事はありませんでした。

しかし、姉は母を必要最低限しか訪問していない事、総てを施設任せで
(体調、薬の管理、お金の管理・・)である事を知り、
経過がいろいろあった中で、母の確実なアルツハイマー症の進行もあり、
新規に建設された同じ法人の認知症対応のユニットタイプの介護施設に
私が保証人となって移しました。


ここから私と母の、母にとっては新しい施設での介護生活の
第一弾目が始まりました。
仕事が休み或いは調整して母を訪問し時にはそこで泊まり、
或いは母を自宅に連れ帰って一緒に過ごし、
医者と病院を変え、薬と健康の管理をおこない、持ち物の管理・・・・と
ここまでは私が出来うる且つ限界である理想(?)の形と思っておりましたァ・・です!

気になったのは、私の家に来て帰るときいつも強烈に怯えることでした。
私のおうちがやっぱり居心地がいいはずだもの・・・とも思っていた私。
そして私が施設に母を訪ねて私が帰るとき
「ジュリア、帰らないで。帰るなら私も帰る。」
「お仕事に行ってくるから、すぐに戻ってくるから」と私。
「仕事、私も手伝うから、私も連れって」と私の腰にすがりつく母。
その時はまだ私の事を娘であるという大体30%くらいの自覚がありました。
ごくたまに0%のときもありましたが・・・・トホホホ・・

母が夕食中にそっと、或いは「私もご飯食べてくるから待っててね」と
施設を後にします。
帰路のタクシー(昔から運転免許持ってないので。しかも自宅から母のところまで
バス、電車、バスと乗り換えて片道1時間45分。往復所要時間を考えると
時間をとるかお金を取るかの選択でタクシーだと所要時間が半分のため
、ついついタクシー)の中で
すがりつき目を大きく開けて訴える母を
自分の仕事の為に残して帰る自分がまるで鬼のようなに思えた事がありました。

母はいまや判断する事も自分で決定する事は出来ません。
決定権はありません。
私が持つ母に関する決定権を行使する中で私にはすごい葛藤がありました
母はどんどん悪化していき、その悪化とはアルツハイマー病の中核症状の
進行という事ではなく(現代医学上、進行による悪化は避けられませんから)、
周辺状況の、身体状況の悪化なのです。

リハビリという名のついたパンツおむつを穿くようになり、
歩行は介助なしでは難しく時には車椅子となり、
夜間自室で転倒して、頭をぱっくり切って救急車で搬送されたのが二回。
夜間その時、私はお店の営業中で事情を説明してお客を帰し、
トイレで胃の中のアルコールを指を入れて吐き出し、タクシーで向かうわけです。
本当は三回。後に契約書の条項に基ずいて介護記録を含めた情報開示によって
わかったことですが・・・。転倒回数もすごいものでした。
私には通知されてないという事でしたッ。

便秘にもひどく苦しみ、私が看護師に「どうなっているのでしょう?」と訊ねると
「ラックピー剤、飲ませているんだけどね」とだけ。
母を訪れたとき偶然母がスタッフの誰かれなくに、
「大が出ないの。下剤を下さい。お願いします。」とまとわりついていた事がありました。

また、ある日母への訪問後、そっーと夕食中に施設を出ての帰路、
携帯電話を忘れて施設に戻ってびっくり!
共有スペースのリビング食堂に誰も居ない。
シーーン。
夕食開始時間は6時。私が戻ったのは6時40分。
ちょうどその時、介護度4か5のお年寄りが出てきたところ、
そこに一人居たスタッフが「もう、誰も居ないんだから部屋に戻って戻って」と
手を振りながら(シッ、シッてな振り方で)。

母はというと、そーっとドアを開けるとパジャマに着替えて、薄明かりの中、
かッと目を開けてベットの中で天井を見ておりました。
あぁ、だから10時の睡眠剤の投与があるんだと妙な納得。

ケアプランも入所時のみで期限がとうに切れているのに更新なし。
こちらから申し入れをして内容の変更を希望するも、
結局母の退所時までには作成される事がありませんでした。
おかげでケアプランに関して詳しくなっちゃいました。私は。
サービスはケアプランに基ずいて行われると
介護保険法に明記されているんですけどー。

この施設は認知症対応のユニットタイプのケアハウスで入所金200万円、
施設側に支払う生活費、事務費、電気代等一ヶ月17万円前後。
他にも母の十分な介護をする為にヘルパーさんを頼んで数万円。
勿論、介護サービス保険も使います。
お金を云々言ってるのではありませんッ。

入居時での施設内容の説明、パンフレットはそれはそれは素晴しいものでした!!!!
  ・・・・etc・・・
状態の更なる悪化  
  ・・・・
食させ排泄させ寝かしつけてだけの介護ではアルツハイマー病の母にとって
寝たきりになるのは時間の問題でした。

母の事を思うたびに葛藤とストレス。

すると友人が
「家族がこんなにストレス抱えるのなら預けている意味ないんじゃない?!
しかも状態悪化なら」

そうなのッ。そうなのよねッ!

目から鱗・・・・・・・・・・・・・ォ! ポトリ

正月我が家で滞在と連れて来て、そのまま帰さずして、契約解除し、
母はそれ以来、私と一緒。
母とマーシャさんと私との在宅介護生活が始まりました。
そしてそれから17ヶ月。


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