Julia Kerry

認知症の母とレスキューされた老犬との日々・・・仕事。 

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これから二人。あ、マーシャも!

水曜日17時から木曜日、そして今日の18時までずーッと母と一緒。
最近ここ1週間ほど特に、穏やか穏やかニコニコで
今日なんかも自分の言った駄じゃれに声を上げて笑ってる。
それを見て私も声を出して、二人で笑ってる。

2年前のお正月に母を引き取った時、私は夜のお店の仕事と英語教室を、
ひと月ちょっとお休みをしました。
(英語教室の生徒の中で、ひとり,学校の授業についていけない子がいて
その子がとても気がかりだったけど・・・・)
母とずーと一緒に居るために。
私が母の本当の状態を理解するためにも、
母を私のお家と言う環境に慣れさせるためにも
私という存在が本当にあなたを絶対、ずーッと守っていくのよと理解させるためにも、
勿論、理屈じゃなくて感じさせるために。

しかし密度の濃いひと月とちょっとでしたぁ。ほんと!
認知症とは、まさしく、認知が出来ない事なのだと改めて実感!あぁ実感!

しかし、このまま仕事を休んでいると二人と一匹は飢え死にでーす。
母が大分、私という(?)環境にも慣れてくれたし・・・
仕事開始しなくっちゃぁ・・・!!
英語教室は私が英語を忘れない為のものでやっている部分があって
収入は極ッ少ないため、夜のお店の収入で生活していく為に、
私の仕事中の夜間、母を預かってくれる人か施設が必要でした。
実際、夜間私の自宅に通って母といてくれる人を知り合いから紹介してもらって、
これで準備OKのはずが・・・母のその人に対する拒否反応が強烈でした。
Dear、Dear、My dear、・・・おや、まあまあ・・・トホホてな感じの私。
うーんと唸ってもいる私。

   ・
   ・
ある日の散歩の帰り、偶然、家の近くの地域密着型小規模多機能型の施設を
内覧した所、しかも空きがあり、夜間お泊りは有料なれど可であり、
その時の対応した看護師さんとスタッフの笑顔に母も笑顔で答えていた!
(ここが極めて重要なわけです、特に看護師さん。)のを見て、
夜間および翌日午前中までお泊りを含めたお預かりという事に決定しました。
週五日利用。毎日中と残り二日は自宅。(今、現在)

信じられない棚からぼた餅、信じられない超ラッキーィィー!!
とりあえず生活環境の設定はクリア。ホォーッ、フゥゥーッ!
   ・
   ・
母は私が自分の娘だとわからない。
母は目の前にあるトマトも目玉焼きも言い当てる事が出来ない。 
母はお寿司を食する時お醤油をつけて食べるという事がわからない。
母は外で履く靴とお家で履く室内履きの区別がつかない。
母は洗濯機が何をするものかわからない。
母は今洗濯しているものと自分が畳む洗濯物の区別がつかない。
母は今会った人が次には初めて会った人になる。
母は我が家のトイレの場所がわからない・・・・・・・・・・・・できない・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・わからない!
              
できなければ、手・助・け・を・す・る。
わからなければ、示・し・て・あ・げ・る。


という母と私とマーシャの生活が始まりました。 



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介護施設という密室の中・・・

     みんな、元気だった。

昨日、書いたものに関してお電話とコメントをいただきました。

お電話は、昨日書いた施設の時、その施設のケアマネではなく
そこの入居者さんの個人的ケアマネの方で、
私が母を訪れたときよくおしゃべりをし、
認知症に対する知識も乏しい中で いやぁー本当にいろいろアドバイスを頂だき、
彼女が自分の担当の入居者さんを訪問したときも母を訪れて
おしゃべりの相手をして下さったり・・・
施設内で相談する相手のいない私にとって彼女の笑顔と、思いやりの心、
知識は本当にまぁー頭の下がる思いでしたです。
この方との出会いも私の中の介護の原点の一翼でもあります。
母を引き取って以来のおしゃべりでした。
彼女にとって、彼女の仕事上の中で自宅から施設、
施設から施設というのが普通で、
施設から自宅へというのは私と母が二例目なのだそうです。
「ブログを呼んで瑠璃子さんがお元気そうで、良かったですね。」
そっかぁー、心配していてくれたんだぁー

コメントの方はやはり母と同じ施設にいらしゃった方のご家族でした。
お母様はすでに他へ移られ、お元気で穏やかに過ごされているとの事です。
私が母を自宅介護に切り替えた後の、その後のその施設・・・

聞いてびっくりというより、怖ろしかったーッあーッ、マジで!

看護師とケアマネの意向で入居者は更にどんどん薬漬けなのだそうです。
問題行動(?)とみなしたら、即、施設かかりつけの精神科医の受診を受けさせ、
薬を処方してもらう、させる?で、抗精神病剤、抗痙攣剤・・・etc・・なのだそうです。

実は母もそうでした。
最初入居時、この施設以前の同じ法人運営の施設にいたときの、
かかりつけの病院の薬を受け継いで服用をしていたのですが、
母は、インプロメン錠、デパケン錠、アレビアチン錠(認知症や精神疾患病、
或いは介護に携わっている人ならこの薬が何を意味しているか、
お分かりのこととおもいます。)を同時服用しておりました。
ただし、ある日突然、私は私の手元に送られてくる調剤内容を見て愕然でした。
母は大学病院の精神科、施設かかりつけの医院および精神科医を
受診していたのですが、
それぞれの医療機関から成分が全く同様の薬をダブって
処方されているわけでした。
血圧降下剤もしかり。
以前の施設は姉が保証人である事から、私は関知してませんでしたが、
当然、一般常識として、お国からの認可を受けている施設であり、
看護士も在駐しての健康管理が行われているはずと思っていましたし、
又、当然、母が新規の施設に引越しとなって
受け入れ施設の看護師が当然のチェックを行うものと思っていました。
私が甘かったぁー!
これに関して、かなりの抗議をしましたけどッ。
ギョッとなっった私は即、母を診てくださる病院とドクター探し・・・探し・・・
今の先生に母を初めて診察をしていただき、母の状態(私の知りうる)を伝えたら・・・・・
うーん、感動?!でした。
抗痙攣剤も抗精神病剤も一切必要なしの処方でした。
その時、母の無気力、追視の衰え、歩行困難、
寝たきりになりつつある状態etcの意味がはっきり理解できました。

あぁ、あぶなかったぁッ、瑠璃ちゃん。

こんなのを理由なく、自分たちの都合で投与されていたら、
脳細胞もやられ、寝たきりになって死期を早めるだけなのです。
これは薬を使った身体拘束・・・・??!専門家の方はご存じだと思いますが・・・

介護施設という密室の中で、ケアマネと医療的立場の権限のある看護師が、
入居者の命を握っているとはそれはそれはおそろしい・・・!!!!!!!

ここは母が退去後、家族からのいろいろな訴えがあり、
県の調査が数度入っているわけです。
一向に反省と改善の兆しなし。
調査に入って指導はしたけど、
そのまんま指導だけで終わりの行政もしかりだけど、
調査・指導を受けても、受け止める側の資質と適性の問題で、
意に介さずつう事ですかねぇー。


母がいた時、介護スタッフとして優秀な人もおりました。
リビングでお年寄りたちに寄り添って、歌を歌い(昔は今みたいに娯楽が少ないから、皆、
小学校唱歌とか童謡とか古い歌謡曲とか大好きでよく知ってますよね)
しりとりをしたり・・・もうお年寄りたち、母も含めてテーブルに輪になって
ニッコニコしながらそのスタッフを囲んでいるわけ。

ある日、私は母のところに泊まり、朝、母のものの洗濯をしていました。
洗濯室の隣はスタッフルームで丁度、朝のスタッフ会議をしておりました。
ドアーは開けっ放し・・・・・・・

ケアマネ「あなたねぇ、テーブルに座って歌ったりゲームしているけど、
      他にもやる事あるのよ。
      まず掃除でしょ。
      年寄り相手は時間があるときでいいのよッ。」

     「あなたねぇ、Tさんの家族にいちいち全部説明しなくていいから。
      大丈夫ですよ、穏やかですよ、でいいのよ。
      余計な事といったら向こうも余計な事考えるでしょッ」

     「家族に何か聞かれたら、私はわからないので、
      ケアマネか看護婦さんに訊ねて下さいっていうのよ。
      何回も言ってるけど・・」
           ・ 
           ・
           ・
あの施設の事はすっかり忘れていたけど・・・・ォ




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施設から私のお家での在宅介護へ


    目から鱗・・・・・・・・ォ!!


母を引き取って17ヶ月。

今は日常の中で17ヶ月前とは比べ物のならない位の周辺状況の改善が
見られます。
今現在の母しか知らない人たちは、穏やかに挨拶を交わし、
笑顔を返す母を見て、
多分、以前老人ホームに入居していた頃の母の様子を知る事があったら、
まず驚くに違いありません。


母は、その施設に入居する前に同じ施設法人の別の施設の居りました。
そのときの母の入居に関するキーパーソン(保証人)は姉であり、
よって私は母と関わる事はあまりなく、
姉に内緒でたまに母を訪問するだけで
きちんと母の置かれている状況を把握する事はありませんでした。

姉と私は父が亡くなったときに、妹(うちは3人姉妹)から
「母の面倒を一生みるから、父の残した財産、財産権を総て放棄してくれ」との
強い申し出に同意したいきさつがあり、
母と妹はそりゃもう妹が幼い時から‘金魚と金魚の糞‘のような関係で
ありましたし、
母自身、姉と私に対して同様に放棄を強く望んだこともあり、
姉は自分の家庭があり、私は自分自身の仕事に夢中という事で
それに同意したことを契機に

私たちの家族関係は完全に崩壊しました。

その後、母と妹夫婦の関係が破綻して妹夫婦は出て行き、
母は一人暮らしとなった中で孤独と不安からでしょうか、
一人暮らしが困難という事で民生委員と保健師の斡旋で
介護施設入居となったようです。
私はそれを後から知ったわけですが、
すでに姉が保証人になっている事もあり、
家族関係が崩壊している中で深入りする事はありませんでした。

しかし、姉は母を必要最低限しか訪問していない事、総てを施設任せで
(体調、薬の管理、お金の管理・・)である事を知り、
経過がいろいろあった中で、母の確実なアルツハイマー症の進行もあり、
新規に建設された同じ法人の認知症対応のユニットタイプの介護施設に
私が保証人となって移しました。


ここから私と母の、母にとっては新しい施設での介護生活の
第一弾目が始まりました。
仕事が休み或いは調整して母を訪問し時にはそこで泊まり、
或いは母を自宅に連れ帰って一緒に過ごし、
医者と病院を変え、薬と健康の管理をおこない、持ち物の管理・・・・と
ここまでは私が出来うる且つ限界である理想(?)の形と思っておりましたァ・・です!

気になったのは、私の家に来て帰るときいつも強烈に怯えることでした。
私のおうちがやっぱり居心地がいいはずだもの・・・とも思っていた私。
そして私が施設に母を訪ねて私が帰るとき
「ジュリア、帰らないで。帰るなら私も帰る。」
「お仕事に行ってくるから、すぐに戻ってくるから」と私。
「仕事、私も手伝うから、私も連れって」と私の腰にすがりつく母。
その時はまだ私の事を娘であるという大体30%くらいの自覚がありました。
ごくたまに0%のときもありましたが・・・・トホホホ・・

母が夕食中にそっと、或いは「私もご飯食べてくるから待っててね」と
施設を後にします。
帰路のタクシー(昔から運転免許持ってないので。しかも自宅から母のところまで
バス、電車、バスと乗り換えて片道1時間45分。往復所要時間を考えると
時間をとるかお金を取るかの選択でタクシーだと所要時間が半分のため
、ついついタクシー)の中で
すがりつき目を大きく開けて訴える母を
自分の仕事の為に残して帰る自分がまるで鬼のようなに思えた事がありました。

母はいまや判断する事も自分で決定する事は出来ません。
決定権はありません。
私が持つ母に関する決定権を行使する中で私にはすごい葛藤がありました
母はどんどん悪化していき、その悪化とはアルツハイマー病の中核症状の
進行という事ではなく(現代医学上、進行による悪化は避けられませんから)、
周辺状況の、身体状況の悪化なのです。

リハビリという名のついたパンツおむつを穿くようになり、
歩行は介助なしでは難しく時には車椅子となり、
夜間自室で転倒して、頭をぱっくり切って救急車で搬送されたのが二回。
夜間その時、私はお店の営業中で事情を説明してお客を帰し、
トイレで胃の中のアルコールを指を入れて吐き出し、タクシーで向かうわけです。
本当は三回。後に契約書の条項に基ずいて介護記録を含めた情報開示によって
わかったことですが・・・。転倒回数もすごいものでした。
私には通知されてないという事でしたッ。

便秘にもひどく苦しみ、私が看護師に「どうなっているのでしょう?」と訊ねると
「ラックピー剤、飲ませているんだけどね」とだけ。
母を訪れたとき偶然母がスタッフの誰かれなくに、
「大が出ないの。下剤を下さい。お願いします。」とまとわりついていた事がありました。

また、ある日母への訪問後、そっーと夕食中に施設を出ての帰路、
携帯電話を忘れて施設に戻ってびっくり!
共有スペースのリビング食堂に誰も居ない。
シーーン。
夕食開始時間は6時。私が戻ったのは6時40分。
ちょうどその時、介護度4か5のお年寄りが出てきたところ、
そこに一人居たスタッフが「もう、誰も居ないんだから部屋に戻って戻って」と
手を振りながら(シッ、シッてな振り方で)。

母はというと、そーっとドアを開けるとパジャマに着替えて、薄明かりの中、
かッと目を開けてベットの中で天井を見ておりました。
あぁ、だから10時の睡眠剤の投与があるんだと妙な納得。

ケアプランも入所時のみで期限がとうに切れているのに更新なし。
こちらから申し入れをして内容の変更を希望するも、
結局母の退所時までには作成される事がありませんでした。
おかげでケアプランに関して詳しくなっちゃいました。私は。
サービスはケアプランに基ずいて行われると
介護保険法に明記されているんですけどー。

この施設は認知症対応のユニットタイプのケアハウスで入所金200万円、
施設側に支払う生活費、事務費、電気代等一ヶ月17万円前後。
他にも母の十分な介護をする為にヘルパーさんを頼んで数万円。
勿論、介護サービス保険も使います。
お金を云々言ってるのではありませんッ。

入居時での施設内容の説明、パンフレットはそれはそれは素晴しいものでした!!!!
  ・・・・etc・・・
状態の更なる悪化  
  ・・・・
食させ排泄させ寝かしつけてだけの介護ではアルツハイマー病の母にとって
寝たきりになるのは時間の問題でした。

母の事を思うたびに葛藤とストレス。

すると友人が
「家族がこんなにストレス抱えるのなら預けている意味ないんじゃない?!
しかも状態悪化なら」

そうなのッ。そうなのよねッ!

目から鱗・・・・・・・・・・・・・ォ! ポトリ

正月我が家で滞在と連れて来て、そのまま帰さずして、契約解除し、
母はそれ以来、私と一緒。
母とマーシャさんと私との在宅介護生活が始まりました。
そしてそれから17ヶ月。


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玉石混合・・・・・!

瑠璃ちゃんと呼ぶな?・・・・・!!!  


私は基本的に母の事を「お母さん」と呼びます。
多分、いえ相当、「私が娘のジュリアなのよ」とわかって欲しい願望を込めて。

でも母は私が二番目娘のジュリアとは認知できないから、
「お母さん」と呼んでも無言の時があり、
もう一度「ねぇーお母さん」と呼ぶと
「エッ?誰の事?エッ?私?」と答え、
「そう、お母さんよ」と言う会話のときがあります。
という中で、「お母さん、かわいいねぇー」と語りかけると、
「いやぁー小さい頃は瑠璃ちゃんてかわいい、めんこい(母は秋田生まれ)と
言われたのよ。
だから今度から瑠璃ちゃんて呼んで。
今はババァになっちゃたけど」と来るわけです。
「うん、わかったよ。瑠璃ちゃん。」
母、ウレシソゥ・・・!!

甘えたいのだと思う。
子供時代に呼ばれていた呼び方をされる事で、
子供時代すなわち親や周りから保護され、子供ゆえに甘やかされたとき
(基本的に子供時代はそうだし、そうあるべきだと思う)の感覚に
守られているという感覚に、時には、浸りたいのだと思います。
何故なら認知症と言う病は、時には訳のわからない不安を引き起こすから。

母が以前、私が引き取る前に入所していた介護施設での事ですが、
スタッフの中(いや、あの施設は多くのスタッフがその傾向にあったと思いますが)に
認知症の入居者に話しかけるのに赤ちゃん言葉を使うスタッフがいるわけです。

「あー、ちょうですちゅかぁーー」「ダメでちゅよぉーー」
「はーい、もうネンネねェーー」「ちゃんとお箸使えるかなァー」
「はい、はい、はい、」(普通、「はい」は一回でいいと思うけど・・)

エッ、認知症って赤ん坊な訳!?!

別に「あー、さようでございますか」「お止めになってください」
「もう、お休みになられたほうが宜しいのでは」
「きちんとお箸、お使いになれますか」
「承りました。」と言ってくれとは、全然、毛頭、思いませんし、
思いませんでした!マジで!

けど、何故、普通に常識的な日本語による声かけが出来ないのか、
最初の頃は不可思議、不可解でした。
母は脱いだ靴やスリッパを向きを変えて並べ、
人様に対してきちんとあいさつ(私よりずっと丁寧に)をまだこなします。
赤ん坊は絶対にしません!
出来なくなってきている事と、赤ん坊であることは全く違います。

介護度が何度であろうと、彼らは立派な大人です。

戦前、戦中、戦後と、私たち戦後生まれには想像を絶する
過酷な時代を生き抜いてきたわけで、
現代のように医療も薬も発達しておらず、
物も乏しく時には貧しくおなかをすかせて栄養状態も良好とはいえず、
そして戦争と言う悲劇をくぐり抜け、戦後を生き残ってきたのです。
戦後日本をたくましく作り上げてきたのは、正しく彼らなのです。

以前、後期高齢者医療保険の問題がマスコミでクローズアップされた時の
インタビューの中で施設に入所しているご婦人が凛として
「戦後日本を作り上げてきたのは、私たちです。
今更、それに対してこんな仕打ちですか!」
とおっしゃっていたのが耳に残ります。

介護をするにあたって、介護される人たちの人生的歴史的生育歴を
少しでも学んだら少しは目上の大人への敬意は生ずるような気がしますけど・・・ねェ。
その存在の中身にはものすごーい人生と歴史が詰まっているのだし。

いくら認知症であろうと、彼らは言いたいかも。
「赤ん坊じゃないッ」て。[赤ちゃん言葉で話すなッ」て。
認知症で脳細胞はダメージを受けてても、心は生きているから。
でも彼らは、何も発しない。
何故なら無力だから・・・・・

食させ、排泄させ、眠らせて、生きながらせ、
問題があればマニュアル!に沿った対応だけ。
これは、介護ではありません。

介護保険法が施行されて、介護保険法に記載されているところの
理念に基ずいて施設運営がなされているか、
チェックも管理もしない厚生労働省もしかり・・・・・・

ひと山いくらでくくって介護しているのを目のあたりにして、
超ビックリしましたです・・・!!!
個人的生育歴(例えばどういう人生を歩んできたのかとか・・・etc)を
理解することなく、又、対応する事なくして、
いかにして個としての問題を掌握してそれぞれにあった介護が出来るのでしょうか。

ま、施設運営の方針がスタッフの介護の姿勢に反映されているわけでした。

身体的介助だけが介護と錯覚誤解しているスタッフと、
身体的介助をも通して相手の心に寄り添おうとするスタッフの 
その雲泥の差、天と地。フーッ!

真剣に介護というものに取り組もうと志しているスタッフにとって、
そのような介護方針の現場はつらいものがあるに違いません。
そのような施設には見切りをつけていずれは辞めざるをえない状況でしょうね。

でも寝たきりにする介護ではなく、寝たきりにさせない介護を目指している
介護施設もあるわけです。

玉石混合てな状況の日本の介護施設の現状。


私は母の事を瑠璃ちゃんとも呼びます。
でも、母に対して大人として面します。

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瑠璃ちゃん、・・・・のようなもの・・・・子供?

  一日のお決まりスケジュール   ー基本的にー

夜お店を閉めて帰宅が3時か4時。
布団といっても母の介護用ベッドだけれど、入るのが4時か5時。
起床予定の目覚ましが10時30分か11時30分。
10時30分に起きれたら30分の英語学習と掃除もこなす。

海外から帰国して数年経過して 今やどんどん英語がしゃべれなくなってきている。
海外に行くこともなくなり、英語圏の 人たちと付き合う事もなく、
たまにしゃべるとしたら東京に住んでいるドイツ人の友人と電話で
おしゃべりするくらい。
大人になって覚えた他国言語は確実に忘れていきます。
もったいないから、今、流行り(?)の30分朝勉を最近始めました。

とってもじゃないが起き上がれないときは目覚ましを無視して
11時30分まで爆睡。
15分間で、カーテン開けて、洗顔、着替え、マーシャさんのおしっこ。
脱兎のごとく、母のいる「フェアー」へ母をお迎えに飛び出していく。
ちなみに「フェアー」は自宅から2分。
11時50分には「フェアー」に到着。

10時30分起きになるか、11時30分起きになるか、
勝負は前日のお店の状況次第。

お泊りセットのバッグ(パジャマ、タオル)を受け取り、
あ、母も当然受け取りますが・・・!
二人でお手手をつなぎ「どこへ行くの?」と必ず聞かれ、
「お家よ」と私。
「誰のお家?」「私とお母さんのお家よ」「あら、そんなのあったかしら?!」
といつもの会話。
階段を数えながら上り、
「・・・17。17だから瑠璃ちゃんの年と同じかなあー」
母曰く「そこまで若くないわよー」と照れながらマジに答えます。
毎回全く同じ会話。

玄関を開けて私が先に入り、「ドアー重いから手を気ィつけてね。」
母 「大丈夫よ。鍵掛ける?」
「うん、お願い」と私。
但し、母は、ドアーの鍵を認識できないのです。
鍵をかけた振りをして 微妙に取り繕います。
脳の海馬部分もやられているから、認知症特有の取り繕いを 示します。
でも、その後がとても嬉しいのです。
「あらー先生様ぁー(母は私の事を 先生様、お宅様、奥さん、
優しいおばちゃん、稀におかあちゃまと呼びます。)」 と言いながら
私の履物をきちんと揃え、自分の履物と一緒に玄関に並べるのです。
そのしぐさが可愛らしく、私はわざと自分の履物を乱雑ぽく脱ぎ捨てます。
毎回同じ。
うーん、昔の人たちの日常生活における礼儀正しさに頭ピョコリ。
ずーと独身で一人生活だった私の日常に、来客がない限り、
いちいちそんな作法はありませんでしたぁ。はい。


お家に入ってまずトイレ。手を洗います。
そのまま台所に向かい私が洗う、前日残しておいた食器類を拭くお手伝い。
(ちなみに鍋とかザル類はかたずけ済み。)

今度はそのまま乾いた洗濯物を畳む作業に移行。
母が真面目そうに一生懸命畳んで いる間に私は昼食の準備。

昼食後すぐに東北大の川島教授と公文が開発した
認知症患者のための学習療法に入ります。
(この学習療法は母に劇的な変化をもたらしたもののひとつです。
詳細はいずれ)

次にやはり同じく開発された数字盤にマグネットで出来た数字を置いていく
お遊びを二人でペチャクチャしゃべりながら、と言っても
あまり会話といううものは成立しないのでひたすら私が褒めまくります。

次に二人でトランプゲームとか、童謡を歌うか、包帯巻き(昔、母は保健師
看護師なので指先を使う作業療法としては最適なのです。)の作業療法。
今度はテーブルを離れて軽い運動。

ベッドに移動して足のむくみを取るためのマッサージと
左手のマッサージ(母は左手首の損傷でほとんど自由が利かないのです。)

ここまでが母のこなすべき毎日のスケジュール。

すごくいっぱい詰まっているように見えますが、
実は母はこれらをこなすのがもの凄く速いのです。
母の特有の症状とは、ジーッと穏やかに長い時間座している事が
苦手なのです。
傍に誰かが居ないと注視していてくれないとアッと間に不安に陥るのです。
自分が何も出来なくなってきていると言う不安から、
「未だ、私にだって何かが出来るのだ」と言う思いがあって、
それで私が傍について、こういう療法や作業を提示すると           
嬉々としてもの凄い集中力を発揮してこなしていく訳です。
その過程で褒めてあげたとき、照れたような満面の笑みを浮かべるのです。

私としては私の成し得る事を通して、母のアルツハイマー病認知症の
周辺状況の改善を試みる上で、
逆に母のこうした意欲や集中力を有り難く思っています。

介護家族もつらいけど、一番つらいのは本人ですもんねぇー。
だから不安にもなるし、不穏にもなりますよね。

母は不穏、不安になったらものすごいトイレ行きたい、大がしたい、
おしっこしたいとなってひどいときは1時間に20回!いくときがあります。
言い出したらもう聞かない。顔の表情はそれはそれは険しくなります!

お決まりの学習と作業と体操とマッサージが終了したら、
後は母のお好みコース。

お昼寝をするか、お天気がよければ、散歩と運動と日光浴を兼ねて
買い物かカラオケに行くか、二人でダラダラ過ごすか
もう一度、大好きな!洗濯物畳みをするか(畳んである物を再度崩したり、
箪笥から再度持ち出すんですけどね、私が) 
或いは川島教授が開発した大人用の計算ドリルをやるか ・・・・・・・・・・。
   ・
   ・
  お風呂
   ・
   ・
夕食。終了したら即、着替え。そのまま手引いて洗面所へ。
入れ歯洗浄して、そのときにはもう私の手には
パジャマ、タオル・・等の入ったお泊りバッグが握り締められていて、
「じゃ出かけようかぁー」 「うん、出かけようー」
但し、この一連の流れをスムースにこなさないと、
「フェアー」に行く事を愚図ります。

ここは微妙な緊張感?!とテクニック?!

老人ホームから引き取ってから17ケ月。
母は劇的に周辺症状の改善が見られます。
引き取ったときの母は両手支えの誘導でしか歩けませんでしたし、
車に乗り込むときも時には二人掛り、異常で異様な不穏の
真っ只中におりました。
今は一人でスタスタ歩き、但しそれはそれで徘徊が懸念される状況です。
実は我が家から1回、
そして夜お泊りの施設「フェアー」で1回ありました。  
あのときのことを思い出すと ギョウッ、 ゾーッとしますですぅ・・!

思うに、長いんだか短いんだかよくわからない17ケ月です。
ま、先は長い・・・・母より先に逝かない事だけは気をつけないと・・・・・!


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介護の原点




今日の素敵な事

ブログ立ち上げた事を、昔、母がお世話になった老人ホームの
ケアーマネージャーさんにメール連絡したのです。
久しぶりでしたぁー

私は母を介護するという事を通じて介護の世界、すなわち施設の事、
介護現場の状況、国(厚生労働省)の方針、
欧米との介護老人に対する考え方の違い、
介護家族の抱えている問題、社会環境の在り様、
しいては、人が抱えているところの心の問題を学ぶわけです。
ひとつのカテゴリーの中に詰まっている問題の重大さと
日本の社会がついてゆけない深刻さ。
こういう風に書くと、ほんとうに凄ましい様に聞こえるけど、
うん、今の日本における介護の現状はその通り、凄ましい。

将来もっと加速度的に深刻にならざる得ない中で、
いま、基本的なコアを構築しておかないとねェーと
私も真面目に考えたり、感じている中、
今日、久しぶりに連絡を取った昔のケアーマネジャーさんが
おっしゃいました。

「認知症の改善や安定に必要なものは、病院や薬ではなく、
寄り添う心と病気への理解と適切なケアです。」とおっしゃりました。

介護する者と介護される者が向き合うときの原点ですよね。これって。

勿論、毎日顔を合わせている介護家族は大変。中々大変。
あぁ大変。時には超大変。
だって相手は認知症という病気だから。

でも、介護の現場の方がそういう自覚を持って下さっているというのは、
家族にとってとても励みになります。
しかもこれは彼女の昔からの持論です。

思いやりかぁー これって認知症とか介護ばかりじゃないんですよね、実は。


今日は素敵な言葉を聴いた日でした。

いやあー全く未だPCと格闘中。




    記事を書く? うーーん・・・・・・

パソコンは検索のみでしか使ったことないから、
いやあぁーまいった、まいってた、まいってるぅ!

ブログランキングのバナーを貼るのに、ずーッとずーッとやってる訳です。  
FC2のバナーはなんとか機能しているようですが・・・(たぶん) 
「人気blogランキング」はとりあえず貼り付いているけど、
機能してないと思うのです。
HTMLファイルをコピーし、TeraPad起動したり・・・・・
あぁ大体にしてリンク部分記述の行がなぜか300行台で終了とか、
TeraPadの中はなぜか英文のみでリンク部分はここからなんて
全然見つけられませんツ!
バナーはとりあえずダイアログボックスに飾ってあるんですけどね。
本も2冊買ってるんですけどね。

画面のレイアウトなんていつのことでしょうね。
それと友人がコメントを書いてくれたとの事ですが、
何も・・・・乗ってませんでしたァ・・・


今日、瑠璃ちゃんのお迎えの後、週に1回のお外でランチ昼飯日で
近くのお蕎麦屋さんへ。
週に1回のお外でデナー晩飯日もある。
このお蕎麦屋さんの女将さんは母がアルツハイマー認知症である事の
理解があるせいか 本当に母を褒めてくれます。
「その洋服、とってもお似合い」とか「いつもお元気でとってもすてき」
と母の目をしっかり見て笑顔でおっしゃってくれます。
そのときの母の嬉しそうな顔といったら・・・!
そこへ行く度に「あら、わたし始めてここに来たわ。」と言うのですけどね。

自分が何もできなくなっていく事が、頭で理解できなくても
心では感じ取っている中での不安。
そして社会における生産性の欠如から来る疎外感やら、
身体性の衰えやら、・・・やら、・・・・やら、から来る孤独感。
人はみな孤独で不安だろうけど、老人の場合、褒めてあげる。
気がついたら言葉に出して褒めてあげる。
満面の笑みを引き出したら、穏やかな日々で一日が終わります。

つうか、それしかないかぁ・・・・!


犬のマーシャは15歳をとうに過ぎた雌のミニダックス。
老人性白内障で眼球も真っ白で全盲です。
私の事、大大大好き!
私も大大大好きッ!
瑠璃ちゃんは施設の「フェアー」でムニャムニャスーピィー眠ってるでしょう。
私とマーシャも布団へ。うーん、幸せ!

介護家族は独身女

 ー我が家のスケジュールー

私は夜はお店のママチャン、日中は英語教室のティーチャー。
お店オープンは20時から。水曜日日中と日曜日午前中は我が家に
生徒が来ます。

母の瑠璃子さん(あの年齢では中々モダンな名前で・・・
時代的にはトメとか鶴子とかの気がするけど・・・)は、
私のこれらの仕事の関係で地域密着型小規模多機能型という
タイプの介護施設でお預かり。

夜18時過ぎに瑠璃ちゃん(私はそう呼んでまぁーす。)を預けにいって、
瑠璃ちゃんは翌朝11時50分まで私がお迎えに行くまでそこでお泊り。
一緒に帰宅して二人と一匹(名前はマーシャさん。母はチャンずけ、
犬はサンずけ。)で ランチというとかっこよく、ま、昼ごはん。
17時半の夕食を終えるまでのずーと18時までいっしょ。
水曜日は11時50分お迎えでなく17時お迎え。
拠ってその日の日中は私は英語のお仕事。
お店はお休み、翌木曜日もお休み。
つうことで瑠璃ちゃんも水曜日、木曜日は我が家でお泊り。
つまり水曜日17時から金曜日18時過ぎまで私たちはずーッと一緒に
すごせます。
金曜日夜から又私はお店、瑠璃ちゃんはフェアー(施設の名称)で
お泊りの始まり。

これが我が家の週間スケジュール
 
ここにひとつの問題が隠されているわけ。
お店オープンが20時ということは、帰宅は3時から4時な訳です。
つう事は私は4時から5時に布団に入らなければいけない。
でも帰宅してもすぐ眠るとは行かない事情(?)なのです。
英語のテキストの件やら、最大はマーシャさんです。
瑠璃ちゃんがお家にいるときは やはり瑠璃ちゃん中心ならざる得ないし、
何故なら瑠璃ちゃんトイレの場所も認知できず、
私のことを「優しいおばちゃん」と呼びかけるりっぱに介護度4の人なのです。
だからマーシャさんは、いつも寂しい思いをしているから、
せめて二人(ま、一人と一匹だけど)だけのときはいっぱいhug、hug
してあげたい・・・・・・!

つう事で布団に入るのが5時過ぎが当たり前。

もし神様仏様誰かが何か私にプレゼントをくれるとしたら、
もちろん瑠璃ちゃんの認知症を治してとお願いするけど、
次には”す、す、睡眠をーーー!私に!!てな感じ。

はじめまして


はじめまして。ブログを始めようと思った理由は
介護がどれだけハードでナイスかおしゃべりしてみたかったのです。

母を老人ホームから引き取って17ヶ月。仕事と介護の、
それしかない生活の中で
介護家族の置かれている状況をいろいろおしゃべりしちゃいます。


私にとって清水由貴子さんの件はショックでもありましたし。


介護度4の母はなかなか大変ではありますが、
但し老いた母から
娘の私が最後に何かを教えられているような日々です。

初めてのブログ、いやあ立ち上げるの大変だったあッす。
次回からがんばりますッ。 


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